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福岡高等裁判所 昭和52年(う)279号 判決 1979年4月17日

被告人 竹藤敦徳 外二名

主文

被告人山口康三の控訴を棄却する。

原判決中被告人竹藤敦徳、同渡辺二郎に関する部分を破棄する。

被告人竹藤徳敦を懲役三年に、同渡辺二郎を懲役二年に各処する。

この裁判の確定した日から、被告人竹藤敦徳に対し五年間、同渡辺二郎に対し四年間、右各刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用中、証人北村寛治、同森繁男、同野田竜介、同門司豊、同城山光男、同為田俊明、同木村庄次郎、同佐藤保、同勝野通彦、同金山俊男に各支給した分の各一三分の一、証人龍野佳子、同井手重人、同真武雅子、同下園福成、同馬場武、同宮脇次男、同中田マリエ、同松雪ヨシエ、同坂本岩雄、同野田(旧姓荒山)丈子、同伊藤進、同池田美喜子、同山下義博、同児玉行弘、同一ノ瀬益男、同佐野憲二、同小倉多加志、同下見世恵、同李斗源に各支給した分の各六分の一、証人大津健義、同山田克業、同坂口宏、同東野博文、同和田小夜子、同浅岡誠一、同高橋英之、同樋口輝二、同松尾猛、同古賀ヨシ、同新安良子に各支給した分の各五分の一、証人桑原悦子、同藤田(旧姓筒井)清子、同岩崎鏡子、同山根ヤスノ、同高田タミコ、同磯永恵子、同別府(旧姓三隅)晴江に各支給した分の各四分の一、証人久野三五、同宅和功、同川副健次、同本山ケサエ、同大島弘子、同松木武彦、同島実に各支給した分の各七分の一、同近藤昇一に支給した分の九分の二宛を被告人竹藤敦徳、同渡辺二郎の各負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人木下春雄及び同松本成一連名作成提出の(上申書と題する書面を含む)、弁護人井上庸夫、同坂本佑介、同新道弘康連名作成提出の、被告人渡辺二郎作成の、並びに弁護人新道弘康提出の各控訴趣意書に記載のとおりであるからここにこれらを引用する。

これらに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

第一木下、松本各弁護人の控訴趣意第一点(後記第二、第三の点を除く)、井上、坂本、新道各弁護人の同第二の第一点第二点、新道弁護人の同第一点第二点―事実誤認、法令の解釈適用の誤り、理由不備の各主張―について

所論は要するに、原判決は「顧客から豊栄に対し関門取引所における先物商品取引の委託があつたときは、豊栄の役員あるいは従業員である被告人らにおいて、その顧客のために委託の趣旨に則りその指示に従つて商品取引をなし、顧客から預つている委託証拠金及び売買差益金を管理し、あるいはこれを払戻して決済する等の事務処理をなすべきはもちろんのこと(以下第一の任務という)、顧客の注文を得ないまま無断で取引を行つて事後的に了解を得る場合には、その相場感に忠実に従つた取引をなすべき任務(以下第二の任務という)を有していた。」旨判示したうえ、被告人らに右各任務違背の行為があつたとして背任罪の成立を認めたが、右は以下に順次述べるように法令の解釈適用等の瑕疵があつて破棄を免れない、というのである。

よつて、各所論につき以下順次検討を加える。

(一)  他人の事務に当らない旨の所論について

先ず所論は、商品取引員である豊栄の役員ないし従業員である被告人らに前記「第一の任務」があつたことは、商品取引の関係法令や本件委託契約準則に照らして明らかであるが、右任務に伴う被告人らのなす事務処理は、顧客の代理人などになつて行う顧客のための事務処理とはいえず、商品取引員ないし商品外務員固有の事務として顧客に「対向的」に負う事務であるから、被告人らは背任罪にいう「他人の為め其事務を処理する者」には該当しないのに、被告人らに背任罪の成立を認めた原判決は、刑法二四七条の解釈適用を誤つた瑕疵がある、というのである。

しかしながら、背任罪に所謂「他人の為め其事務を処理する者」とは、他人のためにその他人との内部関係において一定の任務に従つて誠実に事務処理すべき法的義務ある者を意味するもので、右事務にたとえ双務契約上の反対給付の履行のような自己固有の事務処理たる側面が同時に併存していたとしても、その事務内容が主として、ないしは実質において他人の事務を処理するものである場合には、右背任罪にいう「他人の為に其事務を処理する者」に該当すると解するのが相当である。これを本件先物商品取引における取引契約についてみるに、商品取引員がその業務とする問屋営業は取次ないし代行業務を本来的業務とするもので、対外的には自己の名をもつて商品取引を行うが、実質的には顧客の注文に応じてその計算によるべきものとして取引を行い、その効果を委託者に帰属せしめるという間接代理の形態をとつて他人の取引業務等を代行するものであり、問屋とその委託者との間の内部関係の本質は委任であり、民法上の委任及び代理の規定の適用ないし準用をみる関係にある(商法五五二条二項)。もとより問屋営業は商人の行う商行為であるからその代行業務の対価として報酬請求権を有し、委託者との間に反対給付的債権関係が在存することは明らかであるが、かかる債権関係があつても問屋がその委託者との内部関係において実質上委任の関係にあつて委託者の事務を代行、仲介するものであること、即ち委託者のための事務処理をその本質とすることに変りはない。しこうして先物商品取引においても、右問屋営業と同様商品取引を行う者が商品取引員の信用や組織を利用して(それ故に商品取引員は自らの名をもつて第三者と取引する)、顧客は商品取引の業務を自己に代行して商品取引員に委託するのであるから、商品取引委託契約の実質的形態が代行業務の委託にあることは前述の問屋一般の場合と変りはなく、受託した商品取引員は顧客に対し当該委託の趣旨に則り、顧客の指示するところに従つて誠実に右取引を代行実施する任務並びに右委託に随伴して生じる委託証拠金や売買差益金の管理、取引より生じた損益等の決済等を誠実に行う任務を有するもので、その業務内容が他人の事務処理を主として行うものであることは否定できず、商品取引員の任務が法的誠実義務を伴う他人の事務処理を本質的内容とするもので、右取引員の役員ないし従業員である被告人らが背任罪にいう「他人のため其事務を処理する者」に該当することは以上により明らかである。

所論は商品取引員が取引受託の対価として報酬(委託手数料)を得るという反対給付的債権関係の存在をもつて、商品取引員は顧客と「対向的」関係に立つから、右取引員は他人の事務を処理する者に当らないと主張するが、商品取引員とその顧客との関係を通常の売買当事者間にみられる単なる債権的給付義務の対向関係と同旨に理解すること自体疑問があるのみならず、背任罪における任務の本質はそれに反することが他人に対する背信的行為と評価される内容のもの、即ち前示法的誠実義務を伴つて他人の事務を処理することを内容とするもので、かかる任務に違背する限り背任罪の成立を妨げるものではなく、商品取引員の顧客に負う任務も右同様であり、所論は採用できない。

(二)  相場感に従つて取引をなす任務はない旨の所論について

次に所論は、商品取引員が顧客の指示を受けないで無断で商品取引をなすことは商品取引所法、同法施行規則、本件受託契約準則の各禁ずるところであるから、右禁止行為を敢て行う場合にまで法的に期待される任務が生じるとするのは論理矛盾であつて、かかる場合に右取引員に前記「第二の任務」の如き相場感に従つて取引をなす任務が生じる余地は全くないのに、これを肯認した原判決には前同様法令の解釈適用を誤つた瑕疵がある、というのである。

なるほど、商品取引委託契約は顧客のその都度の指示、注文毎に成立するものと解されるから、顧客の指示、注文がないまま商品取引員が勝手に、顧客の計算において取引を行つたとしても、顧客との間には何らの委託契約も存しないから、その取引の効果を直ちに顧客に帰属せしめえないこととなるし、顧客に対する任務も存しないと一応考えられることは所論のとおりである。

しかしながら関係各証拠によれば、商品取引員「豊栄」の役員ないし従業員であつた被告人らは、商品取引に殆んど無知な素人の顧客を新規に開拓し、これらと初回の取引委託契約をなすに際しては、相場感を教示するなどして顧客が本来なすべき取引の時期、内容、決済時期等の決定等に積極的に関与して実質上自らこれらを決し、またこれら事項の決定を一任されるなどして顧客固有の契約事務をも代行して取引を成立させたこと、右取引後もその際予託を受けた委託証拠金や取引の結果生じた売買差益金を直ちに清算して顧客に返済せず(従つて従前の委託契約は未終了の状態にある)、右証拠金及び差益金を合せて新たに当該顧客の委託証拠金として次の取引委託を得るなどして取引数、取引高を拡充させ、委託手数料を稼ぐ方針(釜入れ方式、扇子張り等と称された)のもとに、以後も積極的に、場合によつては強引ともいえる手段をとって委託注文を獲得し、その際も前同様取引時期、内容、決済時期―買落し売落しの時期―等の決定に積極的に関与し自らこれを決するなど顧客固有の事務までも受任し所謂一任売買的取引(委せ玉取引)を行つたり、更には事前に顧客の指示や注文を全く受けないで、該顧客との間に先の取引委託契約による法的関係が残存し、かつその際の委託証拠金等を依然自ら保管しているのを利用し、顧客の計算によるべきものとして商品取引を行い、事後にその承諾を顧客に求め、顧客も本件以前までは概ね利益を得ていた関係上、右行為を事後的に認めてきた実情にあつたこと、以上の事実が認められ、右事実によれば、本件以前豊栄の役員等であつた被告人らが顧客のため、その計算により行つてきた商品取引は、顧客との受託契約が右取引以前になされたか、事後に追認的形態でなされたかの相違はあるにしても、実質的には受託者である商品取引員が顧客固有の契約事務をも行う包括的受託の形態で処理された実情にあつた(なお原判決は被告人らの行つた本件取引につき全て顧客の「承諾を受けないで」と認定判示しているが、その中には包括委任にある所謂一任売買的形態でなされた取引も認定しうることは右に判示のとおりであり、この点において原判決の誤認は否み難いけれども、右の誤認は判決に明らかに影響を及ぼすものではないと考える)。かかる被告人ら豊栄とその顧客との間の本件具体的状況ないし事実的慣行を前提とするとき、被告人らは顧客のため包括的委任を受けて商品取引を行うのであるから、利益を期待してなす顧客の委託の趣旨に則り、或いは少くとも被告人らは顧客の予託金である委託証拠金や売買差益金を管理するなど顧客の財産を直接支配管理しているのであるから、善良なる管理者の注意をもつてこれらを管理すべき立場にあり(商法五五二条二項、民法六四四条参照)、右金員等が無意味に減少することがないよう右注意をもつてこれらの保管に努める任務があるのは勿論、右金員を利用して該顧客のため新たな商品取引をなす場合には誠実に相場感を形成し、商品取引の時期、内容を誠実に決定して取引を行う任務があるものというべきである。

所論は注文や指示のない無断売買は関係法令や準則が禁止するところであるから、かかる禁止行為を敢行するに際してまで法的に期待される任務など生じえないというが、商品取引所法九四条四号、同施行規則七条の三第三号等に指示を受けない売買取引を禁止する規定を設けているのは、一任売買の禁止その他と同様、商品取引市場における公正な価格形成や委託者保護等の政策的観点に根ざす商品取引員に対する取締規定の性格を有するものであつて(その実効は処罰規定によつて全うされる)、顧客との間における効力規定ではない。従つて一任売買(同法同条三号)にあつては該取引は顧客との関係で有効であるし、所論にいう無断売買、即ち正確には顧客の指示、注文のないまま顧客の計算によるべきものとしてなす売買取引についても、商品取引員と当該顧客との内部関係で必ずしも直ちに無効となり、追認をも許さないものとは考えられない。ことに本件における右両者間には前記のように先の委託契約により生じた法的関係(委託証拠金等の管理関係を含め)を基盤としてなされるもので、商品取引員の行う右取引は顧客の委任や代理権授与のないまま行われた無権代理的行為であり、顧客の追認的行為を許容しないものではなく、右追認によつて顧客との間の受託契約が事後的に有効に成立し、当該商品取引の効果が顧客に帰属することになるわけで、前記禁止法条や準則の存在が右当事者間における取引委託契約の有効な成立を妨げるものではない。そうして顧客の右追認ないし事後的な承諾が、当該取引により顧客に生じた損得に応じてなされるであろうことは予測するに難くないが、商品取引員において事後的にしろ右承諾等を得ることを前提として、顧客のため、その計算によるべきものとして商品取引を行う以上誠実にこれを行うべき任務があることは否定し難いから、右所論は相当でない。

(三)  客観的任務違背がない旨の所論について

所論はまた、背任罪における任務違背行為ありといいうるためには、単に主観的に任務に違背し或いは違背するについての故意があるというだけでは足りず、客観的に任務違背の事実の在在を要するところ、仮に前記「第二の任務」つまり相場感に忠実に従つて取引をなす任務に違背する行為が被告人らにあつたとしても、それは「相場感」という主観的要素から出てくる任務であるから、その違背は主観において違背たりえても、客観的意味において背任罪の要件たる任務違背に該当せず、結局本件においては客観的任務違背は存しないから被告人らに背任行為はなく犯罪は成立しないのに、被告人らに有罪を認めた原判決には法令の解釈適用に瑕疵がある、というのである。

しかしながら、関係各証拠によれば、被告人らは豊栄の経営悪化状態を打開するため、顧客から預る委託証拠金や決済して支払うべき売買差益金の返済債務を消滅ないし減少させて豊栄に利を図る意図で、顧客に損失を生じるような商品取引を行うことを企て、本件砂糖相場が当時二〇日余りも上げ相場が続いて高騰し、今後数日間はなお右相場が続く客観的状況にあり、被告人らもかかる相場感を持ちながら、右相場感からすれば当然買い建てを行うのが顧客に利を生じ委託の趣旨に則る取引であるのに、却つて顧客に損失を生じるよう右相場感に反して、関門商品取引所昭和四六年一二月二四日前場第一節から同月二七日後場第二節までの短期間の内に豊栄の顧客の殆んどにつき一せいに、それまでの買い建て分を売り落したうえ新たに売り建てるという所謂ドテン売りを実施し、相場が下げにならない短期日(同日同場の次節に直ちに買落して決済したものすらある)のうちに右売り建て玉を買い落して決済し、顧客に対して売買差損を確実に生じさせると共に、委託手続料相当の利得も得たことが認められ、右事実によれば、委託の趣旨に則り顧客に利益を生じさせるように誠実に相場感を形成し、これに従つて誠実に商品取引を行うべき任務がある被告人らにおいて、自らの相場感に反して不誠実に顧客に不利益となる危険のある取引行為、換言すれば信義誠実に反する行為を敢て行うことを十分認識、認容して右任務に背馳する行為に及んだことが肯認できるのであり、右行為はそれ自体まさしく主観的にも客観的にも任務違背の行為に該当するものというべく、背任罪における任務違背行為と断ずるに十分であり、この趣旨を判示する原判決の判断は相当であるといわなければならない。所論は結局のところ被告人らの形成した相場感が客観的評価においても正当とされるものでなければ、本件においては客観的意味において任務違背はないというに尽きるが、相場感は投機的市場に関する予測的判断であるから判断者の主観にも影響され、常に相反する相場感が併存するもので、いずれを客観的に正しいものと評価するかは多くの場合困難であり、被告人らにおいては顧客の信任に応じて要求される誠実さをもつて形成した相場感に従つて取引を行うことが正しくその任務の遂行であつて、敢てこれに反して取引を行えばこれが背任罪の任務違背行為に該当するのであり、しこうして本件で被告人らが形成した相場感は、当時の客観的、具体的諸状況からして概ねこれに符合した妥当な判断であつて、これに反して商品取引を行うのは顧客に損害を生ぜしめる危険性の大きい行為であつたし、その結果顧客の損害も現実化していることは原判決の判示するとおりであるから、被告人らの本件行為は背任罪の構成要件を主観的にも客観的にも充足しているものといえる。

以上のとおりであるから、原判決には所論のような事実の誤認や法令の解釈適用の誤り等の瑕疵は在せず、論旨は理由がない。

第二木下、松本各弁護人の控訴趣意第一点三、(2)の論旨並びに井上、坂本、新道各弁護人の控訴趣意第二の第三点、及び新道弁護人の控訴趣意第三点の各論旨―因果関係に関する事実誤認ないし法令の解釈適用の誤り―について

所論は要するに、顧客らに生じた本件各損害は客観的に相場が値上りしたことによるものであつて、被告人らが相場感に反して本件取引を行つたことによるものではないから、被告人らの右行為と本件結果たる損害の発生との間には因果関係は在せず本件背任罪は成立しないのに、これを肯認した原判決には事実の誤認ないし法令の解釈適用に瑕疵がある、というのである。

しかしながら、関係証拠によれば、本件当時関門商品取引所における砂糖相場は連日上げ相場を続けており、当時の内外事情や客観的諸状況からして、少くともなお数日間は右相場が続き、直ちに下げ相場となることはないとの相場感が一般的であつて、豊栄の外務員らも右上げ相場との観方に従つて殆んどの顧客に対して買い建てを勧誘していたものであり、かかる時期に多数の顧客の殆んどの者の買い建て玉をしかもそのほぼ全てを一せいに売り建てに転換すれば、顧客に対して損害を一挙に蒙らしめることとなる危険性が十分存在したし、それ故にこそ被告人らは顧客に損失を生ぜしめて豊栄の経理状況を回復する手段として右方法を選んで敢行し、その後の相場も右相場感のとおり依然高値を続けるやこれが反落する以前に早期に買い落して顧客の損失を確実なものとしたことが認められ、その他関係証拠に現われた被告人らが商品取引につき有する専門的知識、経験や職業柄知りえた具体的事情ないし商品取引業界の一般的状況をも併せ考慮すると、被告人らが「ドテン売り」に出れば顧客に損害を生ぜしめる危険があり、そのような結果は通常生じる事態というべく、そしてその危険性が現実のものとなり顧客に損害が生じた以上、被告人らの右背任行為と顧客らの蒙つた損害との間に因果関係が存在することはこれを肯認するに十分である。原判決には所論のような誤認ないし瑕疵は在しない。

第三木下、松本各弁護人の控訴趣意第一点の四及び上申書記載の論旨―損害発生に関する事実の誤認―について

所論は要するに、被告人らは顧客に無断で本件商品取引を行つたものであるから、その効果が顧客に帰属するわけではなく該取引により売買益損が生じたとしても顧客とは何らの関係もなく、まして無断で取引しながらその売買手数料まで顧客に請求しうるわけではないから、当該顧客には何らの権利義務も発生しないし、顧客が豊栄に対して有する委託証拠金やそれまで生じた売買差益金の返還請求権その他の権利義務に消長をもたらすものでもない。従つて本件によつて顧客には法律的にも経済的にも損害を生じていない。仮に損害ありとしても売買差損の範囲に止まるのであつて、無断取引であるから売買手数料の支払債務まで負担するわけではない。しかるに右のいずれをも本件による損害額と認定した原判決には事実の誤認がある、というのである。

本件においては、顧客の注文もないまま行つた豊栄の商品取引を事後的にも承諾することなく右取引の効果の帰属を拒否する顧客も在したことは関係証拠上認めることができ、かかる顧客に対してその取引の効果を帰属させることは法的に困難であるから、かかる顧客に関する限り損害は生じていないとの所論の主張も一概に理由なしといえないが、背任罪にいう損害は必ずしも法律的見地からの財産の減少に限らないことはもとよりのことであつて、関係各証拠によれば、豊栄においては事前に注文がないのになした商品取引でも顧客の計算によるべきものとして取引を行つたのであるから、豊栄の取引帳簿上有効に取引がなされたものとして記帳処理され、顧客がそれまでの取引上豊栄に対して有していた委託証拠金や売買差益金の返還請求債権と、当該取引により生じた売買差損金及び委託手数料とが相殺ないし差引計算して清算され、顧客はその結果残余が出ればその返還を受け、不足すればこれを支払うよう要求されたこと、これに対し顧客が注文もなにもしていないことを理由に豊栄に異議を申出ても、元来豊栄に対する顧客の注文は電話による申込でなされるのが従前からの例であり、本件取引に際しても豊栄の従業員らにおいて予め或は事後に大半の顧客に対して電話を入れて勧誘したり承諾を求めたりして何らかの応答をなしており、これらを根拠として顧客から注文ないし事後的承諾があつたものと強弁され、結局は顧客の要求、主張は豊栄に受け入れられず泣き寝入りするか、渋々事後的に承諾し、せめて豊栄が顧客に対し有すると称する売買差損金及び委託手数料の支払請求債権を、それまで顧客が有していた売買差益金及び委託証拠金の合算額の限度内で行使してもらい、他は放棄してもらうという形で解決する他はなく、事実豊栄も右のような解決案を顧客に求め、多くの顧客がかかる方法によつて取引を終了し、結果的に右相当の損害を現実に蒙つていること、さもなくて紛争処理機関(関門商品取引所の内部機関として存在する)に異議申立等を行つた顧客でも、その注文の存否が争われ、結局は予託した委託証拠金の返還程度の内容による和解を余儀なくされ、それまでの売買差益金相当の債権を放棄させられる結果となつていること、以上が認められ、右事実によれば顧客は事実上豊栄に対し有する委託金等の返還債権の放棄を余儀なくされて相当額の損害を現実に蒙り、或は右債権の行使を著しく困難ならしめる状況に置かれ、もつて財産上実害発生の危険を蒙つたものと考えられるから、被告人らの本件背任行為により顧客らに当該取引によつて生じた売買差損金及び委託手数料相当の損害を生じ、ないしは損害発生の危険が生じたことは十分肯認しうるところであり、右所論も失当である。

第四井上、坂本、新道各弁護人の控訴趣意第一点及び被告人渡辺の控訴趣意―事実誤認―の主張について

所論は要するに、原判決は本件犯行を共謀したとされる昭和四六年一二月二四日朝の豊栄本店役員室における役員会に被告人渡辺も出席し、ここで他の役員らとの本件犯行の共謀に加わつた旨判示するけれども、右は誤認である。同被告人は右役員会に出席した事実はないし、他に共謀した事実もないから刑責はないのに、これを有罪とした原判決は破棄を免れない、というのである。

しかしながら、右役員会に出席した豊栄の他の役員五名の捜査官に対する各供述調書ないしは原審公判廷における同人らの各供述を検討するとき、右役員の殆んどが異口同音に被告人渡辺が右の役員会に出席していたこと並びに本件ドテン売に同意したことを肯認する供述をしていること、ことに、右出席した役員である永野功夫、佐藤(旧姓小林)修吉の関係供述では、同被告人が出席していたことにつき何らの戸惑いもなく、繰返し強く肯定し、その際の同被告人の言動についても具体的に供述していることが認められ、その他同被告人は右役員会の行われた豊栄本店役員室の一画に被告人竹藤(右共謀の主謀者である)と机を並べて業務を執つていた事実や右両被告人が共同経営者となつて豊栄の業務執行に携わつていた事実等関係証拠上肯認しうる諸事実をも併せ考えるとき、被告人渡辺が右役員会に出席していたことは十分認めうるところである。尤も右役員らの原審公判廷での関係供述中には、同被告人の役員会への出席をいつたん肯定しながら、反対尋問されてはつきりした記憶がないかのような供述内容に変えた部分も存し、所論はこれらの供述から右役員らの各供述等関係証拠の信用性がない旨主張するが、右原審での各供述は事件後二年半ないし四年余り経過後なされたものであつて記憶の希薄化は否定し難く、強いて正確な記憶であるかと反問されれば、その応答が曖昧となるのは已むを得ないことであつて、これらの供述部分の存在をもつて同被告人が役員会に出席した事実を肯認しうるその余の前掲各証拠並びに供述部分の信用性に影響を及ぼすものとは解されない。また右認定に反する被告人渡辺の関係各供述調書及び原審当審における各供述はいずれも前記認定に照らしてたやすく措信できない。

加えて関係各証拠、ことに豊栄の営業部や業務部社員らの供述調書等によれば、被告人渡辺は右役員会の直後ないしその翌日、竹藤被告人と共に豊栄本店の営業部等に赴いて前記ドテン売りを実行するよう指示、激励して廻つたこと、被告人渡辺は取引所との間の売買を担当する同社業務部を管轄していて、顧客の売買取引状況を常に掌握できる立場にあつたほか、豊栄の自己玉(会社自体が自らの計算で売買を行うこと)や向い玉(顧客の建て玉が売り、買いいずれかに片寄る場合に会社自体がこれを補足して平衡をとるために反対売買を行うもの)を統轄し、自己玉が一定限度に規制されているため、その脱法行為的に行つていた裏口座(何ら取引のない第三者の名義を利用するもの)による取引をも自ら指示監督する立場にもあつて、ドテン売りが行われた事実を否応なく知る地位におかれていたこと、本件によつて顧客との間に生じた紛議の解決処理にも同被告人がその責任者となつてこれに当つたが、その際本件行為を正当なものと肯認し、これを前提とする解決方法をとるべきことを社員らに指示して右処理に当らせたことも認められる。これらの各事実を勘案するとき、被告人渡辺は前記役員会に出席して本件ドテン売りに同意して他の役員らと本件犯行を共謀したうえ、更に営業部各社員らとも順次共謀してその実行に及んだことを十分認めることができる。

所論は前記共謀の日時である昭和四六年一二月二四日午前中は、会社の従業員らの給料や賞与の支払に充てる金員を借りるため下関市の関門商品取引所に行つており、同時刻頃豊栄本社にはいなかつた旨のアリバイを主張するが、関係各証拠によれば、右役員会は同日午前八時半過ぎから一〇分乃至一五分程度の短時間開かれたに過ぎず、遅くとも午前九時過ぎには終了していたことが認められるので、仮に所論のとおり同被告人がその日午前中に同取引所のある下関市に赴いていた事実があるとしても、同被告人が前記役員会に出席したうえ下関市に赴くことは十分可能なことであり、また他方関係証拠に現われた事実によれば、その前日である同月二三日朝から下関市近郊にゴルフに出かけており、その際下関市内の前記取引所に立寄つて右所用を済せた可能性も否定できず、いずれにしても同被告人が右金策のため下関市に赴いた事実をもつて本件における直接の不在証明となしうるものとは考えられない。

以上のとおりであるから、原判決には所論のような被告人渡辺の共謀関係に関する事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

第五木下、松本各弁護人(被告人竹藤関係)の控訴趣意第二点井上、坂本、新道各弁護人(被告人渡辺関係)の控訴趣意第三点いずれも量刑不当の主張について

本件は、営業不振のため多額の債務超過となつた商品取引会社の、代表取締役社長及び専務であつて、実質的にも二人で右会社を運営してきた被告人竹藤及び同渡辺の両名が、会社の右窮状を打開するためその中心となつて他の役員らと謀議し、部下社員を指示して原判示の背任行為を実行させたもので、会社挙げての計画的、組織的かつ大掛りな犯行であり、その態様も商品取引に疎い大多数の顧客に対しその無知や錯誤につけ入るなどして半ば欺罔的、脅迫的言辞を弄し、また商品取引の中止、手仕舞を真剣に求める顧客の意思も無視して一方的で強引なやり方で、顧客四四名に対し累計五八回に亘り所謂ドテン売りを実行したというもので、犯行の動議、態様共に悪く、その結果被害者に生じた損害は額面上は一億四千万円を超え、顧客らは同社員の甘言に乗せられて商品取引に関つたため、せつかく得ていた利益も全くの夢と化しただけでなく、現実に出金した委託証拠金(顧客一人当り平均七七万円位)を失い、そのうえ損失分の出損さえ迫られた者もあつて、その被害も大きく、更にまた商品取引業界に対する社会の信用を著しく損つたという結果も重大である。かかる犯行を主謀的立場において敢行した被告人両名の刑責には重いものがあり、しかも被告人ら自身被害の回復にさして誠意を示さなかつた原審の段階においては、それぞれの役割の軽重に応じて懲役三年六月ないし同二年の各実刑に処した原判決の量刑にも十分首肯しうるものがある。

しかしながら、当時異常な相場が連日続いており、これに応じてそれまで会社として顧客に買い建てのみ勧誘して取引してきたため、顧客に一方的に利が乗つて会社が顧客に支払うべき売買差益金が膨大になつた反面、これらに向い玉を建てていた会社に多額の売買差損を生じていたうえ、時あたかも手仕舞の多い年末であり、顧客から次々に手仕舞の要求があつてこれに到底応じきれる経理状況になく、社員の年末賞与の支払も遅延していたもので、かかる破産寸前の状態におかれた会社の窮状を打開して会社存続を図る考えで本件が敢行されたものであつて、すべてが被告人らの私利私慾によるものではない。他方顧客らに生じた損害も、その取引開始当初から全体的に通してみれば、実質的には各顧客が現実に出金した委託証拠金程度に止まるものと考えることも可能であり、本件被害者たる顧客の出損にかかる右証拠金は総計約三、四〇〇万円で、その内の半分に当る約一、六六〇万円については本件後紛議解決の段階で会社により顧客に返還されていたが、更に原判決後、右被告人両名において残余の被害の回復に努め、被告人竹藤においては会社との和解未済の顧客を中心として計一六名に対し金五四三万円を支払うことで和解を成立させ、昭和五二年六月から二年近くにわたり右和解に基く分割弁済金の支払を確実に実行してきており(旧審弁論終結時までの支払額金三〇〇万円余り、五七パーセントの履行)、他方被告人渡辺においても合計約二五〇万円を出損して被害者に支払うなどし、それぞれ被害の回復に誠意を示し、被害者からの宥恕も受けているもので、その結果現時点では前記委託証拠金の約七二パーセント位が被害者に返還された状況にある。これらの原判決後に生じた被告人に有利な事情をも併せ被告人らの量刑を考えるとき、現時点では右被告人両名に対する原判決の量刑は酷に失するものと思料される。

各論旨は理由がある。

第六結論

よつて、刑訴法三九六条に則り被告人山口の本件控訴を棄却し、同法三九七条一項、二項、三八一条に則り原判決中被告人竹藤及び同渡辺に関する部分を破棄して同法四〇〇条但書に従つてさらに判決する。

右両被告人に関して原判決が適法に認定した事実に対する法令の適用は原判決が摘示するとおりであるからこれをここに引用し、その処断刑期の範囲内において、被告人竹藤を懲役三年に、同渡辺を懲役二年に各処し、なお刑法二五条一項を各適用してこの裁判確定の日から被告人竹藤に対し五年間、同渡辺に対して四年間、それぞれの刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により主文掲記の各割合で右被告人両名に負担させることとして主文のとおり判決する。

(裁判官 安仁屋賢精 杉島廣利 川本隆)

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